スランジバー。ウイスキー呑みならよく知る「乾杯」の挨拶である。意味は「良き健康に!」とでも言ったところだろうか。ゲール語でSlainteが“健康”の意である。これにバー(ヴァ―)の音を続けてスランジバー。ただ、これには二つの書き方がある。
Slainte Mhath
Slainte Mhor
の二つだ。どちらもスランジバーと発音するが、このMhathとMhorにはどのような違いがあるのだろうとふと思い、調べてみた。すると思いがけない発見があった。
(※ちなみにスランジバーという発音については様々な論がある、スラーンチェ等。ここでは一般的に普及している言い方からスランジバーとしておく。)
まず、両者をScottish-Gaelic Dictionalyで調べてみた。MhathがGood、MhorがGreatの意であった。“良き健康に”か、“素晴らしき健康に”くらいのシンプルな違いである。しかし、Mhorの単語の方には他にMarionやSarahという名前の意味があることも同時に分かった。(※補足・Mhath もMhorも、女性名詞に伴われ変化した形であり、辞書で調べる際は男性名詞形のMathかMorである。)
さらに続けてネットで検索していると、R&B Disttilers のある記事に行き当たった。そこに「チャーリーに乾杯」との小見出しがあるではないか。Raasay島にある蒸留所のウェブページである。すぐにボニープリンスチャーリーの事だろうと察しがついた。そして「何⁉なに⁉それ!」と興味を惹かれた。
記事にはこう記されていた。「Slainte Mhorはジャコバイトの乾杯として“マリオンに乾杯”、すなわち”チャーリーに乾杯”という意がある」と。
何だ、なんだ⁉ 面白そうじゃないか…
少し歴史の話をしなければならない。ボニープリンスチャーリーBonnie Prince CharlieとはCharls Edward Stuart(1720-1788)のことである。彼は、スコットランド王James7世(イングランド王として2世)の孫であり、14世紀から続くスコットランド王家スチュアート家の王子だった。彼は、1714年にスチュアート家からハノーヴァー家に移ったブリテン連合王国の王位復権を目指し蜂起した若き王子である。大変な人気でジャコバイト(James7世とその後継者を支持する人々)の大きな支持を得、1745年に蜂起、イングランドまで攻め込み攻勢をみせたこともあったが、1746年のカローデンの戦いで敗れた。そして、その後の逃走劇が伝説なのだ。
記事に戻そう。記事には「ボニープリンスチャーリーはカローデンでの敗北後、ヘブリディーズ諸島の北へと逃走する。フローラマクドナルド王女に助けられ、彼女の使用人“ベティー・バーク”として女装し、スカイ島からラッセイ島へと逃れた。~中略~ 困難を極める逃走の中、王子はその身分を隠すため幾つものコードネームを持った。その一つの名がマリオンである。」と続いていた。
1707年にイングランドとスコットランドは合同法を成立させ、ブリテン連合王国となった。この時の王位はスチュアート家にあったが、先にも書いたように1714年にこれがドイツ由来のハノーヴァー家に移る。18世紀初頭のスコットランドでは、この連合王国の主権をもう一度スコットランドのスチュアート家にとの強い思いがあったに違いない。ここに立ち上がったボニープリンスチャーリーは、まさに復権の象徴でありヒーローだったのだ。
スランジバー。Slainte Mhor、マリオンの健康に!すなわちボニープリンスチャーリーの健康に!は、ジャコバイトやスコットランドの人々の願いが表れた乾杯の意だったのだ。なんとロマンチックではないか。
この後も王子の逃走劇は続き、フランスへ行き着く。逃走の間も王子への支持はスコットランド本土からも多かったという。手助けをすれば、ハノーヴァ―の兵に捕らわれるにも関わらずである。実際に激しい報復もあった。今一度のスコットランド出兵を夢見たというボニープリンスチャーリーだったというが、その後の人生は無為でアルコールに溺れ、その生涯を終えたという。
と、私は非常にロマンを感じ、素晴らしいエピソードを発見したと嬉しさ一杯になったのだが、意外に知られていることなのだろうか…。喜んでいるのは私だけだろうか。まぁいい。また、このエピソード自体が薄弱とした史実に基づいている気もする。しかしそれでも良いのだ。私はこういう歴史が大好きである。そしてスコットランドが好きなのである。
子供用の歴史書。これには、フローラ王女と王子の間にはちょっとしたロマンスがあったと言われているとある。「証拠もないことだけど、でもありえないとも言えないよね⁉」と章が締めくくられる。子供向けの本なのに遊びが効いてシャレてるとは思わないだろうか。