無気力なことが多い。
だからという訳ではないが、やること、外に出ることを決めて無理やり外に出る。外に出るためには家のことをある程度片付けておきたいので、家のことをする。
外出した次の日などは、基本家も片付いているので何かする気がしない。
ぼーっとyoutubeを見る。犬と戯れる。ちょっとだけ家のことをする。そして、何か興味のあることを軸にし、とめどもなくネットサーフィンする。だいたいネットサーフィンなどという言葉を今も使う人はいるのだろうかw
ブログを書きたい。書きたいことはある。でも思考するほどの気力はない。
金継ぎをしたい。しかし金継ぎをする集中力が出る気がしない。
刺繍をしたい。でも針を細かに刺す繊細さを保つ忍耐力がある気がしない。
どれも言い訳である。
というのも、やれば思う以上にやれるのだ。そして作業に手を付けると高揚感が生まれてくる。小さな手元作業でさえ「あぁ自分はこれが好きだ」という声にはならない興奮に、何故か嬉しくなる。
それでも未だ抜けぬ無気力感はありつつも、何かする楽しみを思い起こしている”天高く馬肥ゆる秋”である。
ちなみにこの”天高く馬肥ゆる秋”という故事成語。意外に危機感ある言葉。空が天高く澄み始めた秋になると収穫のころを迎えた作物を、夏に青草をたくさん食べて大きく肥えた馬に乗った匈奴が奪いにくるという意味。漢の時代のことを詠った詩から広く使われる言葉になったようだ。今は中国でも日本でも「過ごしやすい秋の穏やかな日々」の意で使われている。
という訳で、何を書きたかったわけでもないが、ただつらつらと書いてみた。本来これがブログなのだろうが…(笑