2021年・新年の抱負を考えるに至るまで

昨秋、阿蘇にて外乗した時

丑年。我が殿の逆干支である本年。縁起がよいとされる逆干支の恩恵を受け、殿にとって良い年になればいいと願う。そしてまた牛のような私自身、この2年の塞ぎこんだ在り方から脱却したいと考えている。

 

昨年末「来年はどんな風に人と付きあえるだろう…」と考えた。

 

私は他人の”人となり・性格”を一目みるだけで直感的に判断してしまう。神様でも無かろうにそんなことわかる訳がない、第一何様なんだと私自身思う。しかしこれは防御の表れだ。一瞬にして判断することで、心情を揺さぶられそうな人々を避け、その時又はその時以上関わらないことで心の平静を保つ。でもこれをしてると、10人と出会えば9人は(悪い言い方だが)篩から落ちる。勝手なことを書き続けている…。「本当に何様なんだお前⁉」と、こんなことをいう人間に不快感を覚える方もいよう。申し訳ない。

かつて私は友人が少なかった訳ではない。人はみな個々違いがあり面白い。そう思えていた。

時に人は、誰かと関われば多少なりともネガティブな心情に陥ることがある。ここでいうネガティブな心情とは、本当に小さなことを言えば、買い物中に買い物かごが隣の人にぶつかり、すぐに謝るも相手が不機嫌なままで悲しくなったりすることも含む。また友人間や、仕事上の関わりでの行き違いでネガティブな気持ちが生まれたりすることもあるだろう。でもそれらは、昔なら「そんなこともあるさ」とサラっと流したり、リカバリーを図ることで事態を転換させたり、自分が目線を変えて受け止めることで面白くなったりしていたはずだ。

人生はそんなことの繰り返しである。関わる人それぞれが違うからこそ、様々なことが起こり、時に一喜一憂する。美輪明宏さんなら「だから人生は面白いのよ」と言ってくれるのではないか。しかし、私は何も面白くなくなってしまった。流すこと・面白いと思えるまでにリカバリーを図ることに疲弊した。そして、友人関係をほとんど断ち切り、ひとり楽でいることを選んだ。

しかし社会にいる以上、どうしても人との関わりは出てくる。なので私は、心情を左右することのなさそうな人だけを選択し、最小限の関わりで収めるという手法をとることにした。これが昨年までの私であった。

こんなことを頭でぐるぐるさせていた時、ふと馬のことが思い起こされた

人との付き合いを楽なものにするように乗馬でも自分がただ楽でありたいなら、そういう馬にだけ乗っていればいい。しかし私は今、全然動かない子や、調子に波のある子、すごく怒りんぼな子、怠け者wなど、全く違うそれぞれの馬との付き合いを楽しんでいる。

あ、これってかつて私が人と関わりをもった生活をしていた時と同じなのかもしれない…。

そんな風に考えられたのは、少し驚きであった。

さて、この出来事が実際に私の今の人避け生活をすぐに緩和してくれるかというとそうではないだろう。ただ、2021年の一年をはじめるにあたり、気持ちを楽にしてくれたひとつの気付きであることは間違いない。今年はもっとニュートラルに朗らかに人と接したい。

2021年の抱負は何になるのか。

抱負かぁ…と思いを巡らしつつ、ぼんやりとしか言えないが「普通に人と関わる」ということになるのだろうか。ひとつ明らかなのは、去年より気持ちが晴れやかであることである。

 

※見出しの写真は、昨秋、阿蘇で外乗をした時のもの。

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