昔、親友と陣馬山に登った。透き通ったハートの持ち主の彼女は、疲労を感じる度に杉の木に抱きつき失ったパワーを、その都度にチャージしていた。真似して杉の木に寄りかかり静かにしているだけで回復していく体感さえあった。不思議なものだw。
元々沖縄の田舎の山育ちである。木々の周りでしか遊んでいない。まぁキジムナーと言われるほどではないが、木の力は十分に知っている。しかし沖縄にはこちらほどの大きな木はない。そもそも針葉樹は無いが広葉樹にしてもだ。沖縄から出てきて杉の大木を見た時の驚きは大きかった。何か畏怖の念に近い衝撃を受けた。なので今でもいろいろなところに足を運ぶたびに「大○○の木」的な案内板をみると、つい訪ねてしまう。
近くの越生町「上谷の大クス」という大木がある。
針葉樹ではなく広葉樹である。小高い所に大きく大きく枝葉を伸ばし、大きな影を作り、その見下ろす景色を大きな心で包んでいる。今は訪ねる人を迎えるだけの広場になっているが、80年代までは代々暮らした一家があり、家屋もあったのだという。大クスの大きいと思ったその姿も、近年腐食があった大枝を切り落とし、一回り小さくなったのだそう。
この話を教えてくれたのが、大クスの上に住んでいるお爺さんだ。80は超えているお爺さん。歯も少なく、おっとりした口調。それでもお話好き。若い頃はたくさんの場所に自転車で旅をしたそうだ。
「昔は今の様に自動販売機なんてないから、水があるところでは水を確保しながら、それもつきそうになると茶屋に限らず住宅を訪ねながら水を頂いたり、食べるところを教えてもらったり、行き先までの道のりの確認をさせてもらったもんだよ」「それが楽しかったんだ、行く先々で、その土地の人と交流する。そういうのを楽しみにしながら、碓氷峠も超えたよ。」
今も私の様に、この大クスを訪ねてくる人を自分の若い頃と重ねながら旅人として話してくれている。大クスのこともさることながら、越生町、隣のときがわ町のこと、昔はお正月に堂平山に初日の出を見に行く人も多かったこと、いろんなことを教えてくれた。
その中でも、おとうさんが言った一言がかっこよかった。
「あれこれ考えるんじゃなくて、すぐ動くんだよ若いうちは。やりたい事にそのまま向かえばいい」と。
もう若くないけれども、もうずっと持ち合わせなかった精神だなぁと考えさせられた。若い時は良い意味で猪突猛進に、前を見ることへの恐怖も持ち合わせず過ごしていたなと。
お父さんの歳で、あの柔らかいゆっくりな言葉運びで、ある意味突き刺さるように響いてしまった。それは私自身この数年ずっと護身にしか回っておらず行動の前に頭で考えるばかりで、それを言い訳にして何かすることを避けてきたなぁと。
まぁ私のことはいい。
しかし昔の人はかっこいい。改めて感じた。またお父さんに会いに行こう。