乗馬を始めて2年が経った。最初のころから分かってはいたけど、あまり考えないようにしていたことがある。それは乗馬クラブでのキャリアを終えた馬達のことだ。疝痛で亡くなるにしてもやはり悲しい。であるのに、‟どうなったか分からない…”なんていう話はとてもじゃないけど耐えきれない。
それでも、クラブに在籍していれば気づいてしまうものである、「あ、あの子いなくなったんだなぁ…」と。
馬を取りまく問題は間違いなく多い、この日本においては特にそうだろう。多くはネットに情報が溢れている。私自身は今でも目をつむりたいくらいであるので、改めてここで説明はしない。ただ、‟日本では”としたのには理由がある。日本競馬は世界的にも評価されている。生産される馬は当然多い。にも関わらず、競馬以外での馬の利用は諸外国と比べても遅れているし、そもそも文化がない故に広がらない。馬と触れることが多くの人にとって珍しくなくなれば、状況は改善されるのではないか。馬文化が浸透すれば、馬を生かすチャンスが増える。
競走馬にしても乗用馬にしても人と関わる仕事からの引退の時が必ずある。競走馬に至っては仕事になる前に、その生に終止符を打たれてしまう子もいるのだ。馬達に楽しませてもらっている我々一人ひとりが、その子たちに対して果たせる責任はないのだろうか…。
無視したいのに無視できない問題について少しづつ考えるようになり「養老牧場」の存在を知った。引退した馬が残りの生をゆっくりとまっとう出来る場所だ。
自馬として乗馬のパートナーにしていた子の終の棲家としてや、乗馬クラブの馬の引退を聞いた個人の会員さんがクラブから引き取って入舎させたり、競走馬から怪我などのため乗用に変えられない子など、それぞれの養老牧場に様々な子がいる。
先日、突然思い立ったドライブの山梨で、これまた偶然教えてもらった養老牧場には37歳の超ハイパー長生きなお馬ちゃんがいた。身体は自由が利かないところもあるものの食欲はきちんとあり、私が訪ねた時も良く食べていた。そして幸せそうな顔をしていた。動かない身体にも馬自身なりに対処していて、片足を休ませたら次はもう片方と、バランスをとっているという。
私が訪ねたことがある養老牧場はまだ2か所しかない。が、そこにいるすべての馬が皆安心した顔をしている。この先もう嫌なことも怖いこともないと分かっているかのようである。
さて、私が果たせる責任はあるのだろうか。
今はできることは小さなカンパ、養老牧場へのクラウドファンディングに参加、ボランティアなどだろう。将来的に殿が引退し九州に引き揚げたあとは、出来ることなら一頭くらい馬を引き取り面倒を見てあげられたらいい。殿も同じように考えているようだ。
ただ、何よりも今思うのは、せめて自分が関わるクラブの馬達には長く健康でいてもらいたいという事だ。精神的な苦痛を与えず、馬に優しく乗るとはどういうことなのかをきちんと考えられるようになり、そのような身体の使い方が出来るようになること。そして、馬が物理的に楽だと感じられるように痩せなければならない。本当にやらねばならないのここからだ。一頭一頭の行く末に私との関わりが影響する。長く健康で皆に愛される馬が一頭でも多ければ、救われる子も少しづつ増えるかもしれないからだ。